それは数年前の夏、お盆休みを利用して、実家に帰ったときの事だ。
その年は兄も帰省し、久しぶりに家族が揃った。
張り切った両親は買出しに行こうと言ったが、仕事で疲れていた僕は一人で残り、両親と兄の三人で出かけていった。
かつての自室で携帯をいじっていると、不意に便意を感じ、トイレへ向かった。
僕の実家には、トイレが二つある。
そこまで大きな家ではないのだが、なぜか二つあった。
一つは玄関の近く、「表のトイレ」と呼ばれていた。
もうひとつは家の裏手側、「裏のトイレ」。
僕の部屋からはこの裏のトイレの方が近いのだが、何だか薄暗くかび臭いこのトイレが子供の頃から好きではなく、いつもわざわざ遠い表のトイレを使っていた。
だが、実家を離れてから何年も経っていた僕にとっては、それすらも懐かしい思い出となっていた。
だからその時は、あえて苦手だった裏のトイレに入り、便器に腰掛けた。
そのトイレは、確かに少しかび臭かったが、なんということのない普通のトイレだった。
その時だった。
トイレの外で、人の話し声が聞こえた。
気になってトイレの小窓を見上げると、何かの光がチラチラとしている。
トイレの外は、人ひとりが通れるくらいの間をあけてすぐ隣家になっているはずだった。
僕は急いで用を足し、立ち上がって恐る恐る小窓を開け顔を出した。
その僕の顔を、光が照らす。
思わず顔をしかめ、手で光を遮る。
そこにあったのは、隣家の窓から懐中電灯を手に身を乗り出す数人の若者だった。
そのうちの一人は、その家の大学生の息子で、幼い頃はよく遊んだ相手だった。
その彼は、興奮気味にこちらを指差し、「お兄さん!それ!それ!!」と言った。
怪訝に思いながらも小窓から首を出し、彼が指差す先、小窓の下の壁を見る。
そこには、びっしりと黒カビと赤カビが生えていた。
「あちゃー、ひどいなこりゃ…」
そう言いながらカビを眺めていると、彼はまだ興奮しながら僕に話しかけた。
「違うんです!それヤバイですよ!これを見てください!」
僕の薄いリアクションを見て、自分の意図が伝わってないと感じた彼は、手に持っていたビデオカメラを窓越しに差し出した。
「え…?」
「巻き戻して見てください!!」
不思議に思いながらもカメラを受け取り、少し巻き戻して再生ボタンを押す。
カメラの小さいディスプレイに映像が流れる。
そこには、真っ暗な部屋の中で、ロウソクの立ったケーキを囲む彼らが、楽しげにしているのが映っていた。
恐らく、誰かの誕生日なのだろう。
そのうちの一人は、懐中電灯で部屋のあちこちを照らしていた。
しばらく、彼らの他愛もないやり取りが流れる。
だが、不意にその楽しげな雰囲気を裂くような声が飛んだ。
『うわっ!なんだアレ…!』
窓際で、懐中電灯を持っていた一人が、窓の外を照らしながら何かを見つけた。
どうした、ちょっと見てよ、うわ、気持ち悪い…
窓際に集まり、みんなが次々に声を上げる。
それにつられるように、カメラも移動し、レンズを窓の外に向けた。
そこに映ったのは、まさに今、僕のいるトイレ、その小窓と外壁だった。
その壁にベッタリと生えたカビ、小窓の下側に垂れ下がるように生えた黒カビと赤カビ。
それはどう見ても、血まみれになった人間の形にしか見えなかった。
小窓の部分が頭になった、血まみれの人。
その小窓が開かれ、僕が顔を出す。
まるで僕の体が、血まみれになったような映像が映った瞬間、僕はビデオの停止ボタンを押していた。
僕は必死で作り笑いを浮かべながら窓越しにカメラを返すと、急いで小窓を閉め、走るようにトイレを飛び出した。
そしてそのまま自室ではなく、裏のトイレからは離れたリビングに向かうと、静寂をかき消すためにテレビを点けた。
それでも足りず、テレビの音量を上げ、僕は部屋の片隅で膝を抱え、家族が帰ってくるのを震えながら待った。
その後、帰ってきた両親にこの話をすると、両親は何とも複雑な表情を見せた。
実はこの家、過去に不幸な事件があったらしく、それ以来、怪奇現象が多発していたそうだ。
両親はそれを知らされないまま、不動産屋にこの家を買わされてしまった。
困った両親が知り合いの霊媒師に相談したところ、家の裏手に水回りを新たに作ることを勧められ、そのアドバイスに従い、あの裏のトイレを作った。
それ以降、ぱったりと怪奇現象は収まったそうだ。
きっとあのカビは、それでも抑えきれない『何か』が、形となって現れたものだったのだろう。
あなたの家にも、不自然な間取りの場所はありませんか?
もしかしたらそれは、怪奇を封じるための場所…なのかもしれません。
…という夢を見たんだ。
ハッなんだ夢か…
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